●そもそも印相体とは
印相体、あるいは吉相とも呼ばれる書体は、基本的に篆書体をアレンジしたものです。
篆書体や行書体、隷書体など中国で生まれた書体と違い、印相体は日本で生まれた新しい書体。
厳密な規定や歴史、流れを汲んだものではなく、職人各人のセンスによって既存の書体を好き勝手にいじって生まれたものです。
それがあるときから、縁起がいい、開運などと付加価値を付けたものが流行り始め、現在に至ります。
はっきり言いますが、ハンコ自体にそんな力はありません。
科学的な原理や根拠などありません。
ハンコ屋がハンコを多く売りたいがために作り上げた俗説にすぎないのです。
さらには、印相体の機械フォントまで登場し、パソコンさえ使えれば誰でも印相のハンコが彫れるようになりました。
逆に言えば、技術がなくても印相さえ彫れば売れた時代があったのです。
そうして粗悪品が大量生産された結果、ハンコ自体の質と価値の低下や、現在のハンコ不要論にまでつながっています。
近年では、いわゆる霊感商法により高額で売られたハンコの書体のほとんどが、印相体だったそうです。
フォントと彫刻機さえあれば誰でも作れるがゆえに、犯罪の手助けをしてしまった経緯があります。
だというのに、売れるからという理由で現在も印相体を彫るお店が多いことは大いに問題だと思います。
●自由すぎる印相体
印相体とは、特にこれと言って決まりのない自由な書体です。
言い方を変えれば、作る人によっていくらでも変化します。
何十年にわたって使われ続けた結果としていくつかの法則はありますが、それさえ守ればなんでもありです。
でもそれゆえに、決まった形がありません。
既存の書体と違い、職人の裁量で印相体というものが形作られていく。
それを書体と言えるのか。
ただの改変ではないのか。
そんなあやふやなものを、お客様に自信をもってお勧めできるのか。
先人たちが研究し何代にもわたり伝えてきた書体たち。
その美を次世代へと繋げる役目を担う以上、一級技能士として、印相体は彫りたくありません。
それが率直な意見です。
もちろん、印相で彫ってほしいと言われれば、説明を前提としつつも彫ることになるでしょう。
実際に何本も彫ってきました。
しかし自分から率先して彫ることは、今後もないと思います。
●印相体にメリットはないのか
よくネットで見かける利点として、
・縁起が良い
・複雑、難解なので偽造されにくい
・線が枠についている部分が多いので、欠けにくい
・線が太いので力強さがある
縁起に関しては、ただの思い込みなので除外します。
偽造ですが、フォントで大量生産された機械彫りならまだしも、当店のように手書き文字を手彫りする限り、まず偽造は不可能です。
欠けにくい、確かにそうかもしれませんが、手彫りの場合でも、枠を欠けにくくするような彫り方をします。
そもそも、ある程度の高さから角で落下すれば欠ける可能性は十分にあります。よほど丈夫な印材でなければ。
印面いっぱいに線が伸びていれば、確かに見た目は強く見えるかもしれません。
しかし、篆書文字に無理な改変を施して歪ませたのが印相体です。一生ものの大事なハンコにつかう書体がそれでいいのでしょうか。
お客様がそれでいいとおっしゃるのであれば、こちらが折れるほかありませんが……。
既存の書体も負けない魅力があるということを、ご理解いただきたく思います。
問題は、それをアピールできる店があまりにも少ないということです。
●印相体は悪なのか
吉相だの開運だのとありもしない効能をうたい文句に、不当な高額で売りさばく行為は間違いなく悪です。
詐欺行為といってもいいと思います。
そのせいで印相体をよく思わない、嫌いだという人も多いです。
しかしそれとは別に、真剣に印相と向き合って商売を続けてらっしゃる方もいます。
否定はしませんが、自分とはスタンスが違う、それだけです。
●最後に
大事なのは、お客様の気の持ちようだと思います。
篆書でも隷書でも古印体でも、印相体でも。職人ごとにスタイルがあるように、お客様が求めるものも人それぞれ。
実力のある職人が丹精込めたハンコであることは絶対条件ですが、それをどう扱うか。
大切に保存し、正しい使い方をし、買ってよかったと思っていただけたならば、そこには魂が宿り、幸運を引き寄せることもあるかと思います。
人生の大事な場面において、持ち主に代わり信証の具としての価値を遺憾なく発揮するもの。
それを作り出すのが、印章彫刻一級技能士の使命だと思っております。
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